> 生活困窮者が、葬儀費用を準備できず、やむなく火葬のみで済ませ
たという例は、以前にもわずかながらあったが、今では、他の理由も
あって、直葬が増えているようだ。
> そもそも読経を中心とした、死者への供養としての葬儀に、意味が
あるとは思えない、という意見もある。
> そんな意味のない、カタチだけの儀式に、金をかけるくらいなら、
残った遺族のその後の生活資金に回したい、という理由も頷ける。
> つまりは、葬儀を、死者への儀礼のみととらえ、「生きている私達
のために勤めるものだ」とは、知らないからだろう。
親鸞会は本願寺を「葬式仏教」と批判しているが、親鸞会で葬儀を頼んだら数十万円のお礼を払うのが恒例ですね。
会員は度重なる財施で生活困窮者になっているので、親鸞会に葬儀を頼めない。
> 亡くなった人をご縁として、無常を見つめ、真剣に後生の一大事を
心にかけて、一心に弥陀の本願を聞けば、永遠の幸せに救われる。
さればこそ、生きている私達のための、大切な聞法の勝縁である。
> まさにそこで、命がけで弥陀の本願が説かれ、参集した縁者が、
そろって真剣に聞法させていただくための法要でなければならない。
昔はなかった「会員追悼法要」をして記帳するのに沢山のお金を巻き上げ「只今の救い」の阿弥陀仏の18願を説かず、「真剣に善(財施)をしましょう」と参集した縁者にも勧めていますね。
> 単なるカタチだけの儀礼で済ませている、葬式仏教、法事仏教は、
早晩、地上から姿を消すであろう。いや、すでに消えつつあると
言ってもよかろう。
もはや真宗ではなくなった親鸞会は早晩、地上から姿を消すであろう。いや、すでに消えつつあると
言ってもよかろう。
名無しさん|増える「直葬」 葬式仏教は消え行くのみか|2010-07-28 14:35
弁論大会では「高森先生にめぐりあった体験」を語る人はあっても、
「阿弥陀仏に救われた体験」を語る人がいない。これは、親鸞会には
阿弥陀仏に救われた体験を持つ人がいない証拠ですね。私も、弁論大会で
その事実を知りましたから。
名無しさん|ついに布教使ではなくなったのでしょうか みほとけとともに|2010-07-21 10:56
親鸞会の高森会長が自らの体験を語らないのは、ケコウ会のことを語らずして
体験を語れないからですよね。ケコウ会のことは、なにがなんでも語りたく
ないらしい。ケコウ会在籍時代は、体験談を得意げに出版していたのにね。
そして、体験談を語ってほしいと言われたくないものだから「体験談を
語るのはよろしくない」とかなんとか理屈をつけた。だけど、弁論大会を
開催している。やっていることが、いつも「その場しのぎ」だから、一貫性が
ないんだよね。
名無しさん|ついに布教使ではなくなったのでしょうか みほとけとともに|2010-07-21 10:53
それに、自分の感想や体験を離れた宗教ってありえるの?
そんなの、ただの「絵に描いた餅」じゃないの。
名無しさん|ついに布教使ではなくなったのでしょうか みほとけとともに|2010-07-21 10:48
随行文と弁論大会は、親鸞会の名物ですよね。
自己の姿は見えないというのは、本当ですね。
名無しさん|ついに布教使ではなくなったのでしょうか みほとけとともに|2010-07-21 10:45
最初から布教師でない局長も親鸞会にはいますね。
下半身は一人前なのに、まともに説法が出来ない。あの人の話は、10講とか1講と呼ばれる人達の中でも、1番眠くなりましたね。
だって、教学的な内容もなければ、心もこもってませんでしたから。
名無しさん|ついに布教使ではなくなったのでしょうか みほとけとともに|2010-07-20 22:48
うちの手次寺の門徒総代さんが出てる(笑)
てか、なんでお同行が体験発表したらいけないんですか??
自分のところは体験発表どころか「高森センセー!!ありがとうございましたああ!!」とか北朝鮮なみの絶叫させて、善知識だのみの異安心を会員に推進してるくせによ。
名無しさん|ついに布教使ではなくなったのでしょうか みほとけとともに|2010-07-20 18:22
比較してもしょうがないよ
本願をいわれを聞くということがなかったらさ
名無しさん|『歎異抄』解説書の比較対照【12】《『歎異抄』解説本を比較する意義》|2010-07-17 21:36
また断章か。無信単称の念仏で救われるなんて山崎師の本に書いてあるかよ。
こんなんだからS会は単信無称とか言われちゃうんだよ。
名無しさん|『歎異抄』解説書の比較対照【12】《『歎異抄』解説本を比較する意義》|2010-07-17 10:59
だらしない本願寺に代わって、親鸞会が候補者を立てて選挙に出たらいい。仏法を広めるためには、政治の力も必要ですよ。また当選すれば名声も上がって鼻高々です。高森会長に幹部一同はぜひ次の衆院選に出るべきです。
名無しさん|亀原了円氏 落選!|2010-07-13 19:54
富山弁で、男尊女卑を撒き散らし、人の人格を崩壊させる、輩よりは、マシですね。
名無しさん|亀原了円氏 落選!|2010-07-12 21:12
ほかに書くことは無いのですか?
名無しさん|亀原了円 当選なるか??|2010-07-12 02:07
コメント2に対して、沈黙かよ。
他者の批判だけは一丁前で、自らの批判に対しては貝の様に口をつぐむ。
それが親鸞会の正体。
名無しさん|聖道・外道におもむきて|2010-07-05 14:50
人の妻と姦通したり、告発したものを罰する悪魔が居るそうです。
諸悪をする者と勧める者を追放してください。
名無しさん|歴史の視点 学徒の論点 西方浄土はおとぎ話か 真宗破壊の「近代教学」 その元を作った清沢満之 親鸞会.NET|2010-07-02 22:28
親鸞会には「次第にその迷雲も晴れ、今日までの悪疑を恥づるに余念がありません」という体験を書いた人がいるそうですが、ぜひとも除名にして下さい。宗祖の御意に反することばかりをして大衆を惑わせているそうです。
名無しさん|歴史の視点 学徒の論点 西方浄土はおとぎ話か 真宗破壊の「近代教学」 その元を作った清沢満之 親鸞会.NET|2010-07-02 07:55
新宗教というよりはカルト狂団だろ。どう考えても。
他の新宗教に失礼だ。
名無しさん|浄土真宗親鸞会は、新宗教というより伝統仏教 親鸞会.NET|2010-07-01 00:01
>浄土真宗親鸞会は、新宗教というより伝統仏教
残念ながら、世間一般はそう思っていないみたいですね。
学研発刊の「新宗教の本」にしっかりと親鸞会の事が紹介されていますね。
親鸞会が新宗教ではない、と主張するならば、学研にクレームを付けなければなりませんね。
>たとえ歴史は古くても、その団体が
「本尊は伝統的なものから、別のものに替えます」と
言いだしたり、
「開祖は、○○をするなと言われたけれど、これからは大いに○○をしましょう」
と方針を変更したら、それはもはや《新宗教と化した》と言っていいのではないでしょうか。
まさしく親鸞会そのものではないですか。
ご本尊は伝統的なものから、親鸞会オリジナルの『コピー&ペースト』に替えていますね。
「開祖親鸞聖人は『獲信の為の善』をするなと言われたけれど、これからは大いに『獲信の為の善』をしましょう」
と方針を変更して、金集め人集めを勧めていますね。
>それはもはや《新宗教と化した》と言っていいのではないでしょうか。
よく分かっているではないですか。
>逆に、宗教法人の登録年月日は、新しくても
「教えに忠実に。開祖が教えられたとおりにお伝えしていこう」
としている集まりならば、それは伝統的な宗教になるでしょう。
親鸞会は歴史は50年程ありますが、親鸞聖人のみ教えをねじ曲げていますので、新宗教と呼ぶのもふさわしくないですね。
カルトと呼びましょう。
淀川コナン|浄土真宗親鸞会は、新宗教というより伝統仏教 親鸞会.NET|2010-06-30 22:55
>「本当に地獄があるのなら、まず妻子に伝えにゃならんだろう。他人に勧めるばかりで家族に伝えていないじゃないか。無いものをあるように教えているからでないかと、疑いが起きてきたのじゃ」
>袖触れ合うも多生の縁といわれる。ましてや家族となれば、よほど深い因縁があってのことだ。久遠劫より流転を重ね、今生、巡り遇わせていただいた阿弥陀仏の本願、往生極楽の道を、自分だけ喜び、家族を放っておけるものでなかろう。
「わが妻子ほど不便なることなし、それを勧化せぬは浅ましき事なり」
息子のM晴はどうなの?
救われてんの?
名無しさん|家族に伝えたい|親鸞会 顕正新聞|2010-06-30 14:41
本願寺に対して、言いたいことは終わった?
次は、親鸞会に対する批判に答える番だよ。
本願寺がだめだとしても、それが親鸞会が正しいことの証明にはならないんだからね。
名無しさん|聖道・外道におもむきて|2010-06-27 02:54
久々に更新と思ったら、相変わらずだな。
「余行を修し」って、念仏以外の諸行を往生行として修することなんだけど、「三願転入の教え」とやらの実践も「余行を修し」に入るのだよ。
会員は「やれば信仰が進んで助かる」と思ってやっているのだから。
「やっても助からない」と思ってたらやらないものね。
ただ現実として、定善散善はやってないから余行にもなっていないって話なんだが。
名無しさん|聖道・外道におもむきて|2010-06-25 22:56